うら田 創業80年史
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107第4章 試練を乗り越えてをしたり、風呂敷をマント代わりに仮面ライダーやタイガーマスクのまねをしたりするなど、二人にとっては遊び場代わりだった。 東一は中学を卒業後、麗澤高校へ進学した。親元を離れて共同生活を送る中で身に付いた自立心や協調性は、社会に出てから必ず役に立つ。自身の体験を通してそう実感していた一郎が強く勧めたからだ。東一にしても、親元を離れる不安よりも東京の近くで学べるうれしさが大きく、進学先はすんなり決まった。 この時代になると学生寮が新築されたほか、最寄り駅としてJR南柏駅が完成し、住宅が建ち並ぶなど、一郎の頃とは学ぶ環境や周辺の様子はすっかり変わっていた。ただ、規則正しい生活はもちろん、1年生から3年生までが共に過ごす部屋割りや上下関係の厳しさは相変わらずだった。「食事の最中は場を和やかにするため、話題を提供するのが1年生の役割だった。月1回開かれる誕生会で出し物を企画するのも1年生で、米泉町にあった工場の敷地で遊ぶ東一(左)と明朗

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