うら田 創業80年史
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116には利益がほとんど出ない状態に陥った。 一は生前、「何かあったときは野町本店を手放せばいい」と言い残していたが、売り上げが落ち込んでも一郎はなかなか踏ん切りを付けられずにいた。「父親が苦労に苦労を重ねて開いた店を閉めるのは忍びない。細々とでもいいから商売を続けていきたい気持ちがあった」 逡巡する一郎の背中を押したのが、東一と明朗だった。当時、東一は製造課長、営業部長を経て常務に就いていた。明朗は麗澤高校、簿記の専門学校を卒業し、大阪の繊維企業で勤めた後、平成5年(1993年)に入社し、総務・経理業務を担当していた。 野町本店の低迷を見かねた二人は手分けして候補地を探し、最終的に一郎に提案したのが八日市出町の土地だった。ここは金沢市内と野々市町(現在の野々市市)、松任市(現在の白山市)を結ぶ片側2車線の道路沿いにあり、ドライバーから認知されやすい場所である。敷地面積は約130坪で、店舗を建てても駐車場を十分に確保できる広さがあった。周辺には住宅街が広がる上、御影店、泉野店とはそれぞれ約3キロずつ離れており、商圏も重ならない。工場からの配送に便利な点も魅力だった。
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