うら田 創業80年史
118/141
120徳弘は大学を卒業後、パティシエを目指して福岡の有名洋菓子店で5年間に及ぶ修業を積み、さらに3年間パリで経験を重ねた。 帰国後、徳弘は洋菓子店を出店したいと一郎らに相談した。店舗を開く場所や事業形態について、一郎や東一が話し合った結果、徳弘を会社に入社させ、浦田に新しく洋菓子部門を設け、別ブランドとして店舗展開することに決めた。 そもそも菓子に和洋の区別をつけるべきでなく、おいしい菓子を提供するのが菓子屋の使命という点で一郎と東一の認識は一致しており、二人の中に洋菓子店開店への抵抗感はなかった。また、一郎は「和菓子の購入層は40代以上が多いが、洋菓子であれば高校生から小さなお子さんを連れた家族などにも好まれる。洋菓子店を開けば幅広い世代に菓子を提供できる体制が整えられる」と考えた。愛香菓の開発で洋菓子の技術を取り入れた東幼い頃から変わらず仲の良い三兄弟(写真左から明朗、東一、徳弘)
元のページ
../index.html#118