うら田 創業80年史
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131第4章 試練を乗り越えてらは、再点検が終わるまで販売をストップするとの通告があった。この事件は浦田が守ってきたのれんにも傷を付け、和菓子の売り上げも1、2割ほど減少した。 東一にとって決定的なショックとなったのは、和菓子部門で働く社員数名が辞表を提出したことだった。中には「親からそんな会社は辞めてしまいなさいと言われた」と打ち明ける者もいた。辞表を出さなくても、社員たちの中に洋菓子部門の不祥事のせいでとばっちりを受けたとの不満が明らかに募っていた。 企業にとって何より大切なのは人である。しかし、このままでは社員の気持ちがバラバラになり、統率が取れなくなってしまう。そう危機感を覚えた東一はパティスリー・ラクアジュールの閉店を決断し、平成20年(2008年)3月に店じまいした。 店舗は4月以降、和菓子を販売する直営店に転用したが採算が合わず、翌年11月に閉鎖した。東一は新たな事業を始める以上に、その事業を続けていく困難さを身にしみて知るとともに、社員の存在のありがたさをひしひしと感じた。
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