うら田 創業80年史
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18困窮を極めた少年時代 創業者である浦田一は明治43年(1910年)5月、承蔵、すゞ夫妻の次男として金沢で生まれた。 この年、日本は日露戦争に勝利した余勢を駆って韓国を併合。日本が欧米列強に対抗して大陸進出を着実に進展させた時期に当たる。繊維産業の盛んな石川県内では、力織機の稼働台数が前年に比べて倍増するなど産業の近代化が急速に進み、陸軍の第九師団が置かれた金沢は軍都としてにぎわいを増していた。 承蔵とすゞが籍を入れたのは、明治36年(1903年)9月のことだ。当初は承蔵が生まれ育った富山県礪と波なみ郡ぐん南みなみ蟹かん谷だ村むら(現在の南砺市)に住んでいたが、一が生まれる2年前に金沢に移り、中心街の西町や三さん社じゃ町まちなどで転居を重ねた。 幼少期の一はかなり病弱で、結核を患い死の淵をさまよったこともあった。同年代の子どもたちと比べて成長も遅く、体重もなかなか増えなかった。 一には姉が二人、兄が一人、妹が一人いた。しかし、体が弱かったのか、あるい
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