うら田 創業80年史
18/141

20「いずれは自前の店を構えてほしい、そして貧しい生活から何とか抜け出したい」。そんな切なる願いを息子に託したすゞが、知人のつてを頼って紹介してもらった働き口だった。わが子を受け入れてくれた桂月堂への恩義を感じていたすゞは、ことあるごとに「桂月堂さんの方へは、足を向けて寝られない」と口にした。 桂月堂は明治17年(1884年)、初代中村喜三郎氏が金沢へ布教に来ていたカナダ人のキリスト教宣教師夫妻からパンの製造を習い、店を構えたのが始まりだ。金沢市内では殿町(現在の大手町、尾張町1丁目)の洋西堂と並んでパン屋の草分けと言える存在で、明治28年(1895年)頃からは長崎式カステラの製造、販売にも乗り出した。 鎖国政策をなくした明治維新から20年近い歳月がたっても、いまだ西洋人を毛嫌いする保守的な県民性から、開業当初は迫害を受けたこともあった。それも、やがて金沢でもパンが広まっていくにつれて、店も繁盛するようになっていった。店の前には通りを挟んでナンバースクールの旧制第四高等学校があり、登下校途中の学生たちも足繁く通ってきてくれた。 一が桂月堂に入った大正14年(1925年)、金沢市の人口は14万7000人余で全国10位の大都市だった。この時期から昭和初期にかけては金沢にもモダニズムの波

元のページ  ../index.html#18

このブックを見る