うら田 創業80年史
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21第1章 始まりはパン屋からが押し寄せ、繁華街にはカフェーが開店し、〝モボ〞〝モガ〞と呼ばれるおしゃれな洋装を身にまとった男女が行き交った。パンやコーヒー、洋食など、西洋文化への憧れが強くなっていた時代だけに、桂月堂で腕を磨く若者も多く、一の修業時代の同期には後に「浅野パン店」を開いて独立する浅野孝治氏や洋菓子店「ローザンヌ」を創業する渡辺次雄氏が、先輩には後に「桂月堂分店」の店主となる甚田甚助氏らがいた。 パン職人の朝は早く、肉体的にも厳しいものだった。凍えるような冬の寒い日も雨が激しく打ちつける日も、まだ日も昇らないうちから店に入って懸命に働いた。 今ほど機械化が進んでいない時代である。材料を混ぜたり、生地をこねたりするのはすべて手作業。桂月堂で修業していた頃、職場仲間との記念写真に収まる一(後列中央)

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