うら田 創業80年史
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22線が細く決して体が強いとは言えない一は、苦労しながらパン製造のいろはを身につけようと修業に励んだ。 職人は教えてもらうものでなく、見て覚えるのが当たり前の時代。素直な性格の一は、先輩たちにかわいがられ、教えられたことを真面目に実践しながら知識や技術を着実に吸収していった。 のれん分けで「桂月堂売店」開業 母の願いを叶えたいとの一心で働く一の修業は10年に及んだ。すゞは一人前にしてもらったことへのご恩返しにと、一に2年間の御礼奉公を指示した。すると、一のひたむきな姿に感心した桂月堂の二代目喜三郎氏から、桂月堂ののれん分けが許され、「桂月堂売店」として晴れて独立する運びとなった。これが浦田甘陽堂の前身であり、念願の店開きは昭和11年(1936年)10月15日、一が26歳のときだった。 創業の地は、金沢市本ほん馬ま町まち42番地(現在の野町2丁目)である。野町広小路交差点から県道25号(野田専光寺線)を50メートルほど西に進んだ辺りで、現在はにし茶屋観光
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