うら田 創業80年史
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26て栄え、日が暮れると街は三味線や太鼓の音で満ち、活気にあふれていた。 きみは日中、一郎を乗せた乳母車を押し、しばしばにし茶屋街を散歩した。愛らしい笑顔を振りまく一郎は、芸妓たちからよくかわいがられた。社交的な性格のきみは、芸妓や「たーぼ」と呼ばれるお茶屋に住み込みで働く女の子たちともすぐに打ち解けた。 やがて桂月堂売店は「売店さん」、きみは「姉さん」と呼ばれて親しまれるようになり、芸妓たちが店で買い物をしてくれるようになった。桂月堂のパンや長崎式カステラはおいしいと評判だったのだ。 しばらくすると、一は芸妓たちのリクエストに応じてか、それとも売り上げを伸ばしたいとの考えからか、店で菓子の販売もするようになった。 もっとも、当時の一にパンを作ることはできても、菓子作りについてのノウハウはない。明治製菓や森永製菓からキャラメル、ビスケット、チョコレートなどを仕入れて販売したわけだが、これが茶屋に上がる旦那衆から芸妓たちへの簡単な手土産として人気を集めた。明治製菓と森永製菓は戦前の日本の洋菓子業界の二大勢力であり、販売店を囲い込むため得意先を旅行や観劇へ盛んに招待していた。仕事や子育てに明

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