うら田 創業80年史
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28を市内の菓子職人に作ってもらい販売した。こうした季節の行事に合わせて販売する菓子も、桂月堂売店にとってはいい商いとなったのである。 丙種合格で招集免れる 近隣にパンや菓子を売る店がなかったこともあって、商売は次第に軌道に乗り始めたが長くは続かなかった。戦争の影響である。開店翌年の昭和12年(1937年)に日中戦争が始まり、戦線が拡大すると、昭和13年(1938年)には国家総動員法が制定され、戦時体制が強化された。 戦争の長期化で、商売や価格も統制経済下に入った。米や砂糖などの食料や生活物資は配給制、切符制になり、菓子屋は代用品や他の原料の混合を余儀なくされた。昭和16年(1941年)、太平洋戦争に突入すると物資不足はさらに深刻になり、菓子の製造は軍納品に限られるようになった。 一方、米に代わる主要食糧と位置づけられたパンは、製造業者が組合を結成し、力を合わせて小麦粉や砂糖を確保したことで、細々と製造を続けることができた。
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