うら田 創業80年史
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32通りすがりの人が、落ちたパンを親切に拾ってくれ、事なきを得ることも一再ではなかった。そして、道路に落ちたパンも汚れを払って店頭に並べた。極度の食料不足である。ささいな汚れを気にする者など誰一人としていない時代であった。新聞記事に青ざめ桂月堂の看板下ろす  終戦後もしばらくは物資の統制が続き、人々の暮らしは相変わらず貧しかった。乏しい食料品を手に入れるため、庶民は闇市に足を運んで買い求め、日々の生活をやりくりせざるを得ない状況が続いた。 とはいえ、闇市の商品は違法に流通するものである。このため、内務省は昭和22年(1947年)から昭和24年(1949年)にかけて各都道府県に経済監視官を置き、取り締まりに当たらせた。 ある日、一は手にした朝刊に目が釘づけとなった。一が桂月堂で修業していた時代の先輩で、その後、竪町で桂月堂分店を営んでいた甚田甚助氏が闇物資を使って営業していたことで摘発を受け、その記事が大きく載っていたのである。

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