うら田 創業80年史
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34ね。桂月さん、売店さんなら言いやすいけど、浦田は呼びにくいわ」とこぼす者もいた。 のれんを掛け替えたとはいえ、桂月堂との付き合いはその後も続き、浦田の店頭には毎朝、食パンなどが並んだ。そのこともあり、店名変更後も客からは「桂月さん」「売店さん」と呼ばれることが少なくなかった。 牛1頭分の代金で新店舗の不動産を購入  戦後の日本経済は物資不足とインフレにあえぎ、不況が深刻化したが、昭和25年(1950年)に朝鮮戦争が勃発すると状況は一変した。米軍から日本企業への発注が急増し、特需景気に沸いた。繊維が盛んな金沢では人絹織物が高値で取引されるなど、その恩恵に預かった。繊維産業は全国的に、織機がガチャンと動くたびに万の金が儲かると言われたことから〝ガチャマン景気〞と呼ばれるほど活況を呈し、日本の復興を後押しした。 この頃、一に転機が訪れた。昭和11年(1936年)から間借りしていた店舗と住まいの大家が、一と同じ建物で営業する八百屋に土地と建物を丸ごと売却したの

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