うら田 創業80年史
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37第1章 始まりはパン屋から問するのだが、見ず知らずの家の玄関を開けて入る勇気がなかなか出ず、一は何度もその家の前を行ったり来たりした。ようやく入ることができてもろくに話を聞いてもらえず、門前払いされることが多かった。 それだけに、見本箱を見せてほしいと言われた時のうれしさは言葉にならないほどだった。さらに、首尾よく注文が取れれば機嫌が良くなり、きみは外回りから帰って来た一の表情を見ただけで、うまくいったかいかなかったかがすぐに分かるほどだった。 足で稼ぐ一の取り組みはやがて実を結び、たくさんの得意客に恵まれるようになり、商売は勢いづいていった。一は貧しかったあの頃に二度と戻ってなるものかと、朝から晩まで身を粉にして働いた。きみはもちろん、母のすゞも風呂敷をかついで配達を手伝った。 休日は月1回もあればいいほどで、商売柄、年末年始は大忙しとなるのだった。唯一、一息つけたのがお盆である。当時、浦田家の墓は野町3丁目の堅けん正しょう寺じにあった。墓参りを終えると一は家族を引き連れ、香林坊交差点角にあった「魚ぎょ半はん」で食事をするのが恒例だった。魚半が入るビルは交差点に沿うようにカーブを描く建物が特徴

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