うら田 創業80年史
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38的で、香林坊のランドマーク的存在だった。 ふだんは苦虫をかみつぶしたような顔をしている一も、この日ばかりは笑顔で旨そうにビールを飲んだ。そんな父親の隣でカツ丼を食べるのが、一郎にとってはこの上ない楽しみ。慌ただしく過ぎる毎日で、年に1回のささやかで贅ぜい沢たくな一家団だん欒らんのひとときだった。 四男が病気から知的障害に  創業者の一ときみ夫妻は4男1女の子宝に恵まれた。上から順に昭和12年(1937年)生まれの長男一郎、昭和16年(1941年)生まれの長女紀美枝、昭和18年(1943年)生まれの次男琢二郎、昭和20年(1945年)生まれの三男東作、昭和23年(1948年)生まれの四男陽作である。 ただ、皆が無事に育ったわけではなかった。紀美枝は6歳のときにはしかで亡くなった。まだワクチンもない時代で、はしかは毎年数千人単位で死者を出す感染症として猛威を振るっていた。

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