うら田 創業80年史
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40 きみは一郎らに常々、「陽作に手を取られ、お前たちの面倒を見られなくて申し訳ない」と口にした。また、「家の悪いものを陽作が全部背負ってくれたんやから、しっかりと感謝しなければいけないよ」と話して聞かせることもあった。 一郎を千葉の麗澤高校に  陽作の障害に心を痛めながらも、一はとにかくがむしゃらに働いた。日本経済が立ち直りを見せるなか、一は今後の事業拡大を視野に、昭和27年(1952年)4月、社名を「浦うら田た甘かん陽よう堂どう」に改め、株式会社を設立した。 この年、一郎は泉中学校3年生になっていた。進路について真剣に考え始める夏休みになると、病気の後遺症で知的障害の残った四男陽作の世話に追われたきみ

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