うら田 創業80年史
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46最初の看板商品「加賀舞づる」 一が浦田甘陽堂の社名で新たなスタートを切った昭和27年(1952年)、菓子業界はようやく戦前の活気を取り戻しつつあった。戦中から続いていた統制経済が徐々に緩和されると、小豆や砂糖、小麦粉が自由に売買され、材料が手に入りやすくなった。各店では競うように趣向を凝らした菓子が作られ、戦後初めてとなる全国菓子大博覧会が同年に横浜で開催された。 そんな中、一は店の顔と言えるような商品がないことに頭を悩ませていた。片腕となる職人を店に置き、おはぎなどの生菓子やもなか、どら焼きなどを製造、販売していたが、どの商品も際立った特徴がなかったからだ。 毎日のように外回りをしている一は、売り上げを牽引するような店の看板商品の必要性を経営者として痛感した。そんな菓子ができれば、店の存在感や認知度をアップさせるのにも大いに役立つ。これから会社を大きくしていく上で、「浦田と言えば○○」と言える看板商品をなんとしても作りたいとの思いと焦りが一の中に募って
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