うら田 創業80年史
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49第2章 山あれば谷ありを包むには繊細さとスピードが求められた。 一は弘夫の教えを受けながら、何度も練習を繰り返して技術を習得し、なんとか商品化にこぎつけた。商品名を「加賀舞づる」とし、商標登録もした。 浦田にとって初となる自社オリジナル菓子の評判は上々だった。上品な甘さがお茶請けにぴったりの上、めでたさを感じさせる紅白2色をそろえたことで、お祝いの引き出物としてもよく用いられた。昭和28年(1953年)、一が悲願としてきた看板商品の誕生だった。 金沢ステーションデパートへ出店  その後、加賀舞づるの販路を広げるきっかけになったのが、金沢市特産品協同組合の取り組みだった。同組合は、菓子や工芸品などの製造販売業者が金沢の特産品を観光客にPRしようと、昭和27年(1952年)に結成した組織である。メンバーは桐漆工芸の上坂を中心に、菓子の森八、坂尾甘露堂、小出菓子店、高砂屋、浦田、佃煮の近岡屋、郷土玩具の中島めんや、九谷焼の鏑木商舗、漆器の和幸の10店だった。

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