うら田 創業80年史
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53第2章 山あれば谷あり旅行客にアピールできると考えたとしても不思議ではない。 もう一つ付け加えるならば、社業の発展と商売繁盛を願い、七転び八起きに通じる縁起の良さに一があやかりたいとの思いもあったに違いない。 発売後、加賀八幡 起上もなかは一の期待通りに人気を集めていった。これ以降、加賀舞づると加賀八幡 起上もなかは浦田甘陽堂の二枚看板となり、店の成長を牽引した。 その後も一は旺盛な意欲で商品ラインアップを広げていった。例えば「日にち月げつ味くらべ」は三日月形と丸形を一つに合わせた大きめのもなかの皮にそれぞれ小豆餡と抹茶餡を詰め、二つの味を楽しめるようにしたものだ。ほかにも、白餡を包んだ餅に蜜をかけた「照しょう月げつ」、こし餡を包んで焼いたまんじゅうにニッキとすり蜜をまぶした「杣そま人びと」など、創意工夫を凝らした菓子を次々と作り出した。 さらに、昭和33年(1958年)頃になると、シュークリームや長崎カステラ、バターケーキといった洋菓子も作るようになった。店頭にはバラエティーにとんだ商品が並び、以前のように他の菓子店の商品を仕入れて売ることも少なくなった。 

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