うら田 創業80年史
52/141

54住み込みの社員が増え賑やかに  加賀八幡 起上もなかが商品化された昭和30年(1955年)、1人当たりの国民総生産は戦前の最高額を超え、翌年の『経済白書』には「もはや戦後ではない」と記されて流行語となった。人々の暮らしは次第に豊かになり、「三種の神器」と呼ばれる白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が一般家庭にも普及するようになった。石川県でも昭和32年(1957年)にNHK金沢局、その翌年に北陸放送がテレビ放送をスタートさせ、県民に新しい時代の幕開けを予感させた。 一は事業を拡大するため、店舗裏手にあった大蓮寺の敷地を借りて工場にしたほか、スクーターや中古のダットサンを購入し、配達に使った。 人手が足りなくなると、新たに社員を雇い入れた。当時、実家が近くにある社員は通いで働いたが、ほとんどは住み込みの時代である。男性社員は工場2階、女性社員は近くに借り上げたアパートに寝泊まりし、その数は多い時には男女合わせて7〜8人にもなった。

元のページ  ../index.html#52

このブックを見る