うら田 創業80年史
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56 そして、朝晩は店の奥にあった部屋に家族用のちゃぶ台と社員用の長方形の座卓を並べ、一家と社員がそろって食事した。食事の世話は一の母すゞである。中には好き嫌いの激しい社員もいて、例えば野菜嫌いで箸の進まない社員がいれば、すゞは「それ嫌いでもちゃんと食べんなんよ」と声をかけ、栄養が偏らないように気を配った。 手の空いた女性社員は、一の妻きみを手伝って知的障害のある四男陽作の面倒を見てくれた。陽作は昭和28年(1953年)頃、障害が少しでも軽くなればと京都大学医学部附属病院で手術を受けている。それでも期待したほどの効果は見られず、体が成長する分、力もつき、きみの手に負えないこともしばしばだった。 時には突然飛び出して近所の八百屋へ行き、店先に積んであったリンゴの山を手で突き崩したりした。予測不能のとっぴな行動に手を焼き、陽作の腰に縄を巻いて電柱にしばり、半径数メートルの範囲でしか動けないようにすることもあった。 きみは陽作から常時目が離せず、仕事もままならない。女性社員はしばしばきみから小遣いをもらって、陽作を香林坊に建ち並んでいた映画館に連れていった。陽作は映画が大好きで、大川橋蔵や高田浩吉といった銀幕のスターが活躍するチャンバラ映画が特にお気に入りだった。

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