うら田 創業80年史
55/141

57第2章 山あれば谷あり 七尾市出身で高校卒業後、昭和31年(1956年)に浦田に入社した古田雪子(旧姓輪わ違ちがい)は当時の様子を次のように振り返る。「私たちにとって陽作ちゃんは弟のような存在でした。急に走り出すことがあったので、けがでもしたら大変と手をしっかり握って映画館までいきました。映画を見ているときは静かで、何とも言えないうれしい表情をしていました。田舎では映画を見にいかせてもらえませんでしたから、私にとっても楽しみな時間でしたね」 住み込みの社員が増えた浦田は大家族のようなアットホームな雰囲気で、加賀市の山代温泉などへ慰安旅行に出かけたり、連れだって海水浴へいったりすることもあった。娯楽と言えば映画くらいしかない時代であり、社員にとってこうした機会は大きな楽しみとなった。 昭和30年代初めに工場で働いていた社員。一番右は一の次男琢二郎

元のページ  ../index.html#55

このブックを見る