うら田 創業80年史
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604連覇を飾り、黄金時代を迎えていた。一郎もよく神宮球場に応援にいき、優勝が決まると大学最寄りの池袋駅周辺は喜びに沸く学生であふれ返った。 道路はまだ舗装されていない時代、人波の中、次から次へと踏まれる革靴は途端に泥だらけになった。このため、一郎は友人たちと祝杯を上げに街に繰り出すときには、長靴を履くようにした。頭を丸めて新潟で修業  昭和35年(1960年)に大学を卒業した一郎は、新潟市の老舗菓子店・大阪屋に修業に入った。安政5年(1858年)に創業した大阪屋は当時、わら頭巾をかぶった雪ん子を模した立体的な和菓子「雪國」で知られていた。90人近くの社員が働き、年間1億円以上を売り上げる有名店であり、そこでの修業の橋渡しは、全国銘産菓子工業協同組合の活動を通じて大阪屋の岡嘉一社長と親しかった小出弘夫社長がしてくれた。 この修業は一郎にとってはごく自然ななりゆきだった。一からはっきりと言われたことはなかったが、祖母すゞに小さい頃から「長男は跡を継ぐんやぞ」と言い聞

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