うら田 創業80年史
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61第2章 山あれば谷ありかされて育ち、一郎は高校時代から将来は家業に入ろうと考えていた。 修業に入る前には散髪屋で頭を丸坊主にした。当時の心境を一郎はこう振り返る。「大学時代は髪を長くし整髪料もつけていたので、丸坊主にするのは勇気がいった。でも、仕事を教えてもらう以上、こちらが謙虚な姿勢を示すことが必要だと思った。丸坊主にした方が先輩も教えやすいし、頼みやすいからね」 大阪屋で一郎は、和菓子の要となる餡や洋菓子の要であるクリームを作る部署で働いた。朝は誰よりも早く工場に出勤し、仕事を終えた夕方からは繁華街にある古町店の店番を買って出た。古町店は当時、新潟市内に大阪屋が開いていた4店舗の中でも最も忙しい店である。夜がふけても料理屋などから引っ切りなしに注文の電話がかかってきて、一郎は配達に飛び回った。 夜も休まず懸命に働いた背景には、金沢に戻って家業に入る前に、現場で働く従業員の気持ちを理解しておきたいとの思いがあった。というのも、新潟にある大阪屋で修業に励む一郎(右)

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