うら田 創業80年史
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67第2章 山あれば谷あり階建ての建物は瞬く間に炎と黒煙に包まれた。燃えさかる現場を一目見ようと、野町広小路界わいは約3千人ものやじ馬が押しかけて騒然となり、一帯の交通がまひした。結局、火元となった倉庫と浦田の工場、商店、住宅計4棟が全焼したほか、半焼3棟、建物の一部3棟を焼く大火となった。 昼間の火災にもかかわらず、ここまで被害が大きくなったのは、いくつかの悪条件が重なったからだ。まず発見、通報が遅れたこと。現場周辺は木造建築がひしめき合うように建つ場所だけに火の回りも早かった。 また、本馬町一帯は道幅が約2メートルと狭くて消防車が近づけず、消火栓から50メートル余りもホースを伸ばすしかなかった。そして、ごった返すやじ馬も消火を妨げる原因となった。ようやく火が消し止められたのは、発生から約1時間も後のことだった。 不幸中の幸いと言えたのが、死者やけが人が出なかったことだ。浦田の工場で働く十数名の男性社員も、「火事だ」という声を聞いてすぐ外に飛び出し、難を逃れた。胸をなで下ろす一方、満を持して稼働させた新工場をあっという間に失い、一はがっくりと肩を落とした。

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