うら田 創業80年史
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68 失火の疑いに憔すい  一をさらに憔すいさせたのは周辺住民から「火災の原因は浦田にある」と疑いをかけられたことだった。浦田の工場では餡を炊くために重油ボイラーを使い、屋根には煙を逃がすための煙突を設置していた。一方、火元となった倉庫に普段から火の気はないことから、工場の煙突から火の粉が飛んで出火したと憶測を呼んだのだ。 もっとも、出火原因の調査に当たった警察と消防ではまだ出火原因を特定していなかった。それでも一は「原因は分からないが、火を出したのは事実だ。ご迷惑をかけたのだから、とにかくお詫びに回ろう」と当時の習わしに従って腰に荒縄を巻き、草履を履いた姿で近隣の商店や住宅を一軒一軒訪ね歩き、頭を下げた。 その日の夕方のテレビやラジオのニュースでは、失火原因は浦田との推測がそのまま流れ出た。一は針のむしろに座らされたような気分だった。 浦田の疑いが晴れたのは火災から二日後のことである。原因は近所に住む小学生2人が倉庫2階に忍び込み、マッチで火遊びをしていたことだった。

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