うら田 創業80年史
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69第2章 山あれば谷あり 疑念が払拭されたとはいえ、苦労の末に手に入れた工場や機材が戻ってくるわけではない。一の心は沈んだままだった。 大慌てで駆けつけた一郎  工場が全焼したその日、一郎は車で新潟へ配達に出かけて不在にしていた。大和新潟店から「加賀舞づる」の特注を受けていたのだ。商品を目いっぱい積み込んだライトバンには、普段から親しくしている中島めんやの中島武夫社長が「運転手代わりに一緒に行ってやるよ」と同乗した。 まだ北陸自動車道が開通していない時代である。前の日の晩に金沢を出発した二人は交代しながら夜通し車を走らせ、翌朝、店に商品を納めるとそのままとんぼ返りした。 二人が金沢に着いた頃には既に夕方になっていた。携帯電話などない時代、一郎はまだ工場が火災に遭ったことを知らなかった。一郎はまず武夫を下ろすため、中島めんやに立ち寄った。すると武夫の母が一郎の顔を見て飛び出してきた。

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