うら田 創業80年史
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72時代の修業仲間で、金沢市内でパン屋を開いていた浅野孝治社長が手を差し伸べてくれた。浅野は苦境にあえぐ一親子を見かね、京町で以前使っていた工場を貸してくれたのである。 再開に当たって製餡場を工場内に設けず、外に簡易な小屋を建てた。理由は、小豆を炊く際の湯気や大量に使う水で、工場が早く傷むのを危惧したためだ。そして、鍋の前には自らが立ち、大阪屋で学んだ技術を生かすとともに、古参社員のアドバイスも仰ぎながら、和菓子の生命線である餡作りに懸命に汗を流した。 秋から冬へと季節は移り変わり、急場をしのぐ仮設の小屋には冷たいすきま風が吹き込んできた。一郎はただ黙々と重労働の餡作りに精を出し、自分が先頭に立ってこの難局を乗り切るという気迫をみなぎらせていた。その背中を見て、社員も一丸となって菓子作りと浦田再建に心を合わせた。創業から30年目、どん底からの再出発だった。

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