うら田 創業80年史
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74街中を避け、新工場を建設  浦田は工場を火災で失いながらも、一の修業仲間の計らいで工場を借りて何とか再開にこぎつけることができた。ただ、一郎はいつまでもその厚意に甘えているわけにはいかないと、忙しい仕事の合間を縫いながら新しい工場の建設計画に取りかかった。 焼けた工場の跡地で再建してはとの一郎の提案に、一は猛反対をした。社長を退いてからは、一郎のやり方に一切口出ししなかった一だったが、このときばかりは一歩も譲らなかった。「街中に煙突を立てるのはもうやめよう」 火災で濡れ衣を着せられた苦い思い出が一の姿勢をかたくなにした。 それならばあまり人家のない場所に建てようと、一郎は市内を探し回り、元の工場から直線距離で2キロほど離れた金沢市米泉町7丁目にある約200坪の土地を候補に選んだ。今では住宅が建ち並ぶこの場所も、当時は雑草の生えた空き地ばかりが

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