うら田 創業80年史
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76目立つ郊外だった。周囲は鉄工所や神社が点在するだけで、万一、火災が起きても他へ燃え移る心配はなかった。今度は一も同意した。 日を置かず工事が始まり、新工場が稼働したのは火災から7カ月がたった昭和41年(1966年)4月である。工場は鉄骨造り、スレート葺きの平屋で、建築面積は約70坪。製造に必要な機械などはすべて新しくそろえた。土地の購入資金には火災保険から下りた保険金を充てたが、建物や機械は到底、自己資金でまかなえず、1年分の売り上げに匹敵する額を借り入れた。 待望の新工場の操業開始に当たって、一郎は工場長に自分と同世代で昭和20年代の終わりから働き気心の知れた村本宏を抜擢した。社員も、再び自分たちの工場で菓子作りができる喜びにひたった。米泉町に新築移転した工場の前に自宅(画面右)を建てた一

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