うら田 創業80年史
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84時には新たなアイデアを与えながら、納得のいく味が出来上がるまで何度も作り直しを続けた。 月世界に勝るとも劣らない干菓子ができた後も、「このままではオリジナリティーに欠ける。さらにひと工夫しよう」と、もなかの皮でサンドして、食感に変化を付けた。さらに、餅米だけで作る一般的なもなかの皮と差別化するため、餅米に全脂粉乳と砂糖で甘みを加え、食べたときによりおいしく感じてもらえるように仕上げた。 初のテレビCMで売り上げアップ  一郎の納得のいく菓子の完成までに実に約4年がかかった。当初は昭和40年(1965年)に売り出す計画だったが、工場の火災もあって1年先送りせざるを得なかった。 商品名は以前、商標登録しておいたものの中から選んだ。口の中でさっと溶けていく食感が、まるでひとところにとどまらない川の流れのように思えたからで、金沢市内を流れる犀さい川がわにちなんでいる。

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