うら田 創業80年史
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85第3章 焼け跡からの再出発 中に水分があまり含まれていないため、さい川は常温でも60日間、風味を損なわず日持ちがした。餡を使った菓子とは違う軽い口当たりで、一郎は「これならば暑い夏でもおいしく食べてもらえる」と自信をもって世に送り出した。 しかし、一郎の期待とは裏腹に、発売当初は思ったように売れなかった。「知名度がないばかりに手にとってもらえない。一度食べてもらえば、その良さが分かってもらえるのに」。悔しかったが、こればかりはどうしようもない。そこで一郎は、さい川を浦田の新たな主力商品に育てたいとの思いから、テレビCMを流すことにした。 浦田がテレビCMで商品をPRするのは、実はこれが初めてだった。制作を依頼した広告代理店と一郎が相談して決定した内容は、結婚の承諾を得るために恋人の実家を訪れた若い男性が手土産にさい川を差し出すといった筋立てで、娘の父親が「この野郎、やれねえものはやれねえよ」とセリフを言った後、「通う心、浦田のさい川」というナレーションで締めくくる。 テレビCMの放送は昭和45年(1970年)から始まり、CMが盛んに流れていた頃、小学生だった息子の東一は、同級生から「コマーシャルに出ているおじさんはお前の

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