うら田 創業80年史
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86おじいさんだろ」とよく冷やかされたという。裏を返せば、子どもたちも覚えるほど強く印象に残るCMだったのである。 テレビCMの効果は抜群だった。さい川を買い求める客が次第に増え、やがて加賀舞づるや加賀八幡 起上もなかの売り上げをしのぐようになった。そして、昭和50年代に入る頃には、「浦田と言えばさい川」の不動の評価を得るまでになっていた。 和洋そろえた野町本店を新装オープン  アメリカの月面探索機「アポロ11号」が持ち帰った月の石などが展示され、空前の6400万人を超える入場者を集めた大阪万博が開かれた昭和45年(1970年)。4月に三男徳のり弘ひろが誕生し、11月には野町本店の新築オープンと、一郎にとってはうれしい出来事が続いた。 野町本店は、店の前を通る道路を2車線から4車線に拡幅する工事を機に新築した。当時、金沢市内にはモータリゼーションの波が急速に押し寄せ、同年の金沢市の自動車保有台数は10年前の5倍以上となる7万3千台に達し、それに伴って交通渋滞

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