うら田 創業80年史
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92続々出店、ヒット商品も次々と  物産館のオープンと前後して、浦田では昭和48年(1973年)に金沢スカイプラザ、昭和51年(1976年)にジャスコ野々市店、さらに昭和56年(1981年)にはユニー金沢店、ジャスコ・グリーンシティ金沢に出店し、矢継ぎ早に販路を拡大していった。 とはいえ、一郎が拡大路線に舵を切ったわけではない。その経営姿勢は「あくまでも自分の目の届く範囲で」にあり、無理に店舗を増やし売り上げをどんどん伸ばしてやろうという野心はなかった。それでもショッピングセンターの幹部から「うちにも出店してほしい」と請われるとむげに断るわけにもいかず、人知れず悩んだ。 一郎が重視するのは「お客様に喜んでもらえる菓子を作る」のただ一点。その具現化に向けて、新しい菓子作りにもアクセルを踏んだ。商品開発は全国20店舗近くの菓子屋を腕一本で渡り歩いた後、昭和53年(1978年)に浦田に入社した安井義三と二人三脚で進めた。 例えば、和菓子の定番の一つである「きんつば」には、ひと工夫してオリジナリティー

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