うら田 創業80年史
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96言は心に染みた」と話す。 突然、経営のバトンを父から渡された一郎は一に何かを相談したり、判断を仰いだりすることはなかった。とはいえ、父の死に直面してあらためて感じたのは、いるだけで心の支えとなり、安心感をもたらしてくれる存在感の大きさだった。 葬儀には予想をはるかに超える大勢の参列者が集まり、一郎は父が記した足跡の大きさを実感した。そして、こみ上げる悲しみをこらえながら、「これまで以上に店を盛り立て、のれんをしっかりと守り、次代につなげていく」と遺影に誓った。 その翌年、またも浦田に悲報がもたらされた。工場長の村本が病気のため40代後半の若さで急逝したのだ。あまりに早すぎる死に浦田で働くだれもが言葉を失った。お客様を思えばひとときも操業を止めるわけにはいかない。一郎は悲しみを飲み込み、新工場長に大森を任命し、社員も一丸となってぽっかりと開いた村本の穴を埋めた。 狭いながらに工夫した泉野店  一が亡くなった昭和60年(1985年)は、日本経済にとっても大きな転換点だっ

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