うら田 創業80年史
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101第3章 焼け跡からの再出発してくれたのが御影町だった。米泉工場からは直線距離で2キロほど、野町本店からも1キロほどしか離れておらず場所としては申し分ない。郊外と比べれば購入できる土地の広さは限られるが、足りないスペースは階層を増やせば確保できる。さらに、良質な地下水をふんだんに使える点も決め手になった。難を言えば、大通り沿いでない奥まった場所にあるため、お客様にとって分かりにくいのが商売にとっては不都合だった。しかし、その点だけは目をつぶった。 昭和63年(1988年)11月に完成した本社工場は敷地が約400坪とこれまでの2倍となり、鉄筋コンクリート造り3階建ての建物も延べ床面積が約600坪で8倍以上の広さとなった。1階に製餡所と包装所、事務所、店舗、2階に工場と倉庫を設け、3階は将来、工場の増設をする際の空きスペースとし、移転当時は会議室として使用した。 建設に当たって万全を期したのが、懸案の衛生対策だった。工場に入室する前にきれいな空気を全身に吹きつけ、衣服についたほこりや毛髪などを除去するエアシャワーの導入はその象徴と言えた。当時、全国の菓子メーカーを見渡してもエアシャワーの導入事例は数えるほどしかなかった。

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